自閉症の歴史
自閉症の歴史
自閉症は近年発見された障害ではなく、70年以上も前から障害として知られていたり研究がされていました。
実際に、自閉症にはどのような歴史があるのか、自閉症に関する研究や報告、自閉症の原因と考えられていた物事の移り変わり、アメリカ精神医学会が発表しているDSMでの自閉症の取り扱いや分類の歴史について調べてまとめてみました。
自閉症研究の歴史
自閉症研究の歴史についてまとめています。自閉症が一般的に知られたのは1943年のレオ・カナーの発表によるものが最初とされていますが、自閉症という名称が無くても自閉症の症状を持った人はそれ以前から多く存在しています。
レオ・カナーの研究発表
1943年にアメリカのジョンズ・ホプキンス大学の児童精神科医であるレオ・カナー(Leo Kanner)が「情動的交流の自閉的障害(Autistic Disturbances of Affective Contact)」という論文を発表し報告で『自閉症』という言葉が医学的に始めて使われました。
この論文では「聡明な容貌」「常同行動」「高い記憶力」「機械操作の愛好」などの特徴を持つ11名の子供の症例を報告しています。この当時レオ・カナーは、自閉症は幼児期の愛情不足や心理的な要因による統合失調症のような後天的な症状だと考えていました。
この論文で症例のケース1とされたドナルド・グレイ・トリプレット(Donald Gray Triplett)は自閉症として診断された最初の人物にもなりました。
ハンス・アスペルガーの研究発表
1944年にはオーストリアの小児科医であるハンス・アスペルガー(Hans Asperger)が、現在の高機能自閉症やアスペルガー症候群に相当する、軽度の自閉症の傾向が見られる特定の子供達について「幼児期の自閉性精神病質」という報告をしています。なお、ハンス・アスペルガーの研究は第二次世界大戦中のドイツで行われていた事もあり、後にローナ・ウィングによって紹介されるまで殆ど広まることはありませんでした。
ブルーノ・ベッテルハイムの研究発表
1950年代から1960年代にかけてはアメリカの心理学者であるブルーノ・ベッテルハイム(Bruno Bettelheim)が、自閉症は親の愛情不足や冷たい態度などにより後天的に発症するという「冷蔵庫マザー」説を主張し、この考えが一般的に信じられていました。
日本においては精神科医の久徳重盛が1979年に発表した著書『母原病―母親が原因でふえる子どもの異常』の中で、「母原病」と言う言葉を用いて、自動の身体的な症状や精神的な病気の多くは、母親の子供への接し方に原因があるとし、自閉症の原因も母親の愛情不足であると考えが日本で一般的に広まりました。
鷲見たえ子の研究発表
1952年には日本でも名古屋大学精神科の鷲見たえ子により、1945年生まれの当時7歳の男児が自閉症であると日本精神神経学会総会で報告され、この男児は36歳まで追跡して調査と研究がおこなわれました。
バーナード・リムランドの研究発表
1964年にはアメリカの心理学者で、自身の息子も高機能自閉症であるバーナード・リムランド(Bernard Rimland)が、著書『小児自閉症-行動神経理論に対するその症候群と暗示』において、これまで一般的であった親の愛情不足説に対し、自閉症の原因は神経発達障害であるとの考え方を述べました。
バーナード・リムランドは自閉症の原因として「重金属原因説」や「三種混合ワクチンなどの予防接種原因説」の研究家でも知られています。
マイケル・ラターの研究発表
1960年代の後半にはイギリスの子供精神医学者・児童心理学者のマイケル・ラター(Michael Rutter)を中心としたモズレー病院の医師等により、自閉症は先天的な脳機能の障害であるという説が発表され、今までの自閉症の原因に対する考え方が大きく変わりました。
文部省の調査
1967年日本では文部省(現在の文部科学省)が、「児童生徒の心身障害に関する調査」という調査を全国の公立小中学校の全ての児童・生徒を対象に行いました。
この調査で自閉症は情緒障害に含まれましたが、調査対象約1400万人のうち6万4479人が情緒障害であると報告しています。
ローナ・ウィングの研究発表
1981年にイギリスの精神科医で、自身の娘も自閉症であったローナ・ウィング(Lorna Wing)の「アスペルガー症候群:臨床報告(Asperger’s Syndrome: a Clinical Account)」により、ハンス・アスペルガーの研究結果を翻訳して広く世界に普及させたと共に、アスペルガー症候群という言葉を初めて用いりました。
アンドリュー・ウェイクフィールドの研究発表
1988年にはイギリスの医師で生物医学者でもあるアンドリュー・ウェイクフィールド(Andrew Jeremy Wakefield)が、『新種混合ワクチン予防接種で自閉症になる』と言う論文を発表し論争を招きましたが、2010年に論文は撤回されアンドリュー・ウェイクフィールドはイギリスで医師免許を剥奪される処分を受けました。
自閉症スペクトラムの名称の使用
1990年代にはローナ・ウィングにより自閉症には境目が無く、知能の高さや低さ、自閉症の特徴の症状が連続しているという考え方から『自閉症スペクトラム』という名称が用いられるようになりました。
自閉症の原因の考察の歴史
上記項目では自閉症についての研究などについて記載しましたが、それぞれの研究で自閉症の原因だと考えられていた項目をまとめてみます。自閉症の原因と考えられていた事柄も、時代や医療での考えかたの移り変わりにより、様々な原因があげられてきました。
1940年代 精神分裂病の早期発症説。
自閉症や自閉症に見られる症状は、精神分裂病が幼児期に発症するものだと考えられていました。
1950年代 心因説(心理的、精神的)
母親からの愛情不足や間違った育児法・養育法、親の性格や家族間の不仲から、子供への心理面や精神面への影響で後天的に発症していたとする心因説が考えられていました。
なお、家族間の不仲という項目は、自閉症の子供を抱える中で様々な問題が発生することで、家族間や夫婦間が険悪になるパターンが多いということから結果的に原因としてみられてしまいました。
1960年代 脳障害説
1960年代後半ごろから現在まで言われている原因の、脳機能の障害や神経発達障害であるという考え方が広まってきました。
1970年代 脳器質障害を原因とする言語と認知障害説
脳器質障害を原因とする言語と認知障害説という原因は、コミュニケーションとして言葉を使用しなかったり、言葉の使用が未発達であったという特徴から考えられました。
1980年代
1970年代から脳器質障害を原因とする考え方が広まった事と、乳幼児における精神医学の研究なども行われ、ピーター・ホブソンによる『情動障害説』や『対人関係の障害説』、サイモン・バロン=コーエンによる『心の理論障害説』、アレキサンドロ・ロマノビッチ・ルリアによる『実行機能障害説』なども用いられるようになりました。
現在
現在では脳器質の障害を発生させる原因の特定と言う面から『遺伝的要因説』『特定の遺伝子の障害』『薬品や薬物説』『細菌説』『ミラーニューロン低下説』などが研究されています。
DSMによる分類の歴史
DSMとはアメリカ精神医学会が発表している、精神障害の分類の基準を示すもので、日本では『精神障害の診断と統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, DSM)』と呼ばれています。
DSMにおける自閉症の取り使いは、1980年に公開されたDSM-IIIでは小児期の統合失調症から自閉症が別の分類として分けられ、1987年のDSM-III-R では自閉症のチェックリストが追加されました。
2013年のDSM-5では広汎性発達障害の分類が更新され、それまで広汎性発達障害の分類であった『自閉症』『アスペルガー症候群』『特定不能の広汎性発達障害』『小児期崩壊性障害』が統合され、『自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害』になりました。
また、精神の障害の分類としては世界保健機関 (WHO) によって公表されている、『疾病及び関連保健問題の国際統計分類(International Classification of Diseases、ICD)』と言うものもあり、ICD-10の第5章「精神および行動の障害」では、『F84 広汎性発達障害』として、『F84.0 小児自閉症』『F84.1 非定型自閉症』『F84.2 レット症候群』『F84.3 他の小児期崩壊性障害』『F84.4 精神遅滞(知的障害)および常同運動に関連した過動性障害』『F84.5 アスペルガー症候群』『F84.9 広汎性発達障害、特定不能のもの』が分類されています。
まとめ
自閉症に関して「自閉症研究の歴史」「自閉症の原因の考察の歴史」「DSMによる分類の歴史」の3つの歴史をまとめてみました。
現在では自閉症や発達障害に対しての研究も多く行われており、新たなの発見や新しい考え方も多く出てきています。
また、自閉症や発達障害も一般的に知られるようになり、教育や福祉だけでなく、社会全体でも自閉症などに対して意識されるようになってきています。
近い将来には自閉症に効果的な医療方法や療育方法などが発見され、自閉症者やその家族が少しでも落ち着いてすごせるようになればと思います。